「うちの子が人前で歌うなんて、本当にできるのだろうか」
発語が苦手で、知的障害とASD(自閉スペクトラム症)を併せ持つ我が子たちにとって、大勢の人の前で歌を歌い、最後まで舞台に立ち続けることは大きなチャレンジでした。
【子供達の障害】
長男:軽度知的障害(IQ64)&自閉スペクトラム症(ASD)。小学校2年生
勉強大嫌い、だけど休み時間だから学校は好き、予定外のことが苦手な優しいお兄ちゃん。
発語が特に苦手。まだ発音が悪く聞き取りにくいのと、言いたいことを表現することが苦手
次男:中度知的障害(IQ49)&自閉スペクトラム症(ASD)。小学校1年生
偏食がとっても多い素直で人懐っこい弟。
お兄ちゃん以上に発音、表現が苦手
最初の壁 – やる気が出ない(特に長男)
学校の授業で練習するのですが、元々発語そのものが苦手なので当然上手にはできません。
長男の方はやる気が下がり数週間前からグズる状態に・・・

合唱祭いやだー!いーやー!



~♪(ほぼできていないが黙々と練習)



まずはできることとできないこと、嫌なことを整理しようか
二人ともネックになったのはやはり歌詞を覚える事でした。
最難関 – 歌詞を覚える挑戦
歌詞を覚えることは、想像以上に困難でした。文字を読むことが苦手な子どもたちにとって、抽象的な言葉を順序立てて記憶することは大きなハードルでした。
たとえば長男の課題曲の一つにあんたがたどこさだったのですが、この歌詞を覚えるのにかなり苦労しました
あんたがたどこさ
ひごさ ひごどこさ
くまもとさ
くまもとどこさ
せんばさ
せんばやまには
たぬきがおってさ
それをりょうしが
てっぽうでうってさ
にてさ
やいてさ
くってさ
それをこのはで
ちょいとかぶせ
- 読むのが苦手
- 覚えるのが苦手
- 歌詞の意味も不明
- そもそもあまり歌に興味がない
- 周りはどんどんできていく
ここまで揃ってしまうと確かに歌詞を覚えるのは難しいです。
学校の支援級でもかなり工夫はしてくれていて、学校で撮影した動画やyoutubeでアップされている練習用の動画の紹介もしてくれました。
次男はその動画を見ながら繰り返し繰り返し黙々とやり始めました。自分で始めたので無理に介入はしませんでした。まずは自分のやりたいようにやってもらった方が成長すると思ったからです。
練習を嫌がった長男にも無理強いはせず、声をかけてみて、やってみるくらいの気分の時には一緒に練習してみる程度に留めました。
勉強や偏食もそうですが、嫌いになることが一番の壁になると判断したためです。
音程はできるところまででいい
目的は完璧にすることではなく、課題を通じて成長してもらうことです。
なのでできることをできるだけ頑張る。それで良いと考えています。
歌うことはおろか、1年前は2語文さえ喋ることもできなかった次男、今まさに嫌なことも頑張ってみている長男です。
皆と同じようにできるかどうかではなく、できなかったことが頑張ってできるようになったという経験、それが大事なのではないでしょうか。
意外とすんなりできた – 振付
歌詞を覚えるのと並行して、振付の練習も始まりました。意外にもこれはわりとできました。
もしかしたら運動療育で体を動かしていたことが良かったのかもしれません。
振り付けそのものは覚えてしまえば簡単な動きです。問題は振り付けを覚えられるかどうかです。
これは長男次男でそれぞれ工夫をしていました。
長男は振り付けを忘れてしまったときに周囲を見て真似をすること(これは昨年の運動会のダンスでも同じことをしていました)
次男はテレビに動画を映し、徹底的に練習し、覚えていきました。
本番当日
合唱祭当日、二人とも先生に手を引かれ、壇上に。
次男は壇上から私を見つけて



あー!パパだー!
と大きな声で叫び、開場を沸かせてくれました(笑)
結論で言うと二人とも最後まで壇上で歌いきれました。
もちろん、難しい振付は担当せず、簡単な部分にしてもらったり、仲のいい友達や長男が振付を忘れてしまった時に見れる上手な子を周囲に配置してくれたり、かなりの配慮をしてもらいました。
支援級は個々に合わせて配慮をしてもらえ、その中で自分でできることをできるようにサポートしてもらい、「最後までできた!」という成功体験を積ませてくれます。これが支援級のいいところだと思います。
この経験から得たもの
合唱フェスティバルが終わった後、少しだけ、変わったことがあります。
長男、掛け算の暗記に歌を使う
暗記や勉強が嫌いな長男ですが、歌だととりあえず覚えられるということで支援級で「九九の歌」で覚えてもらうことになりました。
もちろん、まだまだ意味は分かっていないし、宿題でもまだ掛け算まで行かず、1年生の時の勉強中心ですがこれが活用できれば今後の学習に活かして行けそうです。
次男、発表の楽しさを知る
次男は合唱祭でやった歌と振付を放課後デイサービスや祖父母に発表するようになりました。
そこでほとんどしゃべれなかった次男が歌って振付をするのを見ると「すごい!」という誉め言葉をたくさん得られるようになりました。
努力して能力を得て褒められる、この経験は彼の今後の人生に大いに役立つと思います。
最後に
「うちの子が人前で歌うなんて、本当にできるのだろうか」
合唱祭前のあの不安は、今思えば親の私の方が子どもたちの可能性を狭く見ていたのかもしれません。
確かに歌詞を覚えることは困難でした。音程も完璧ではありませんでした。でも、それでも良かったのです。大切だったのは、子どもたち一人ひとりが自分なりのペースで挑戦し、最後までやり遂げたということ。
長男が九九を歌で覚えるようになったこと、次男が人前で発表することの喜びを知ったこと。これらは合唱祭という一つの経験から生まれた、予想もしなかった成長でした。
障害があるからできない、ではなく、障害があってもできることがある。そして何より、挑戦することで新しい扉が開かれることもある。
合唱祭を通じて、私たち家族が学んだのは、完璧を求めるのではなく、その子なりの成長を大切にすること。そして、子どもたちの可能性を信じて見守ることの大切さでした。
来年の合唱祭では、また新しい挑戦が待っているかもしれません。でも今度は、もう少し穏やかな気持ちで子どもたちを応援できそうです。
「できた!」という小さな成功体験の積み重ねが、子どもたちの未来を少しずつ、でも確実に広げていくのだと信じています。
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