こんにちは、ぺいです。
今回は二人の知的障害&発達障害(ASD)の子供を育ててきている中で現状一番後悔していることについてです。
・長男は軽度知的障害&ASD
・次男は中等度知的障害&ASD
過去はもうどうしようもありませんが、私が似たような事例の時、二度とこんなことをしないように、そして私以外に一人でも同じ経験をして欲しくないので今回書かせていただきます。
二人の知的障害児の育児の中で私がした最大の後悔
ズバリこれです
どうしてもっと早く療育を受けさせなかったんだろう・・・!
二人には本当に悪いことをしてしまったと後悔しています。
ここからは我が家の場合の気が付けたはずのポイント、そして何故療育を早く始めた方が良かったと思っているかを書いていこうと思います。
なお、長男次男両方とも同時に療育に通い始めました。
似た発達速度でしたのでここでは長男について書いていきます。
ここで行動しておけばよかったと思っているポイント
2歳になっても発語が無い
2歳になると通常は2語文(「パパ みて」「ママ ごはん」などのように二語で成る文)を話すようになります。
ところがうちの子は発語すら無い状態でした。
この時点では「仕事も忙しいし、妻も疲れているし、もう少し様子を見てみよう。そういう子だってたくさんいるらしいし」という判断をしてしまいました。
3歳児検診で発達遅れを指摘される
3歳児検診では二人とも明らかな発達遅れを指摘されました。
全ての発達段階が1歳~1歳半程度、一番高くても2歳程度でした。
もしかしてきちんと絵本ともっと読み聞かせたりしないといけないのではないか・・・?妻とも話しましたが、妻は「今日初めて見た子供の何がわかるの!」と検査そのものに否定的でした。
流石にまずいのではないかとは思っていましたが、私はまだこの段階でも「躾の問題」と思っていました。
3歳になっても二人とも二語文はできず、単語がわずかに出るのみでした。
年子の兄弟が二人とも似た成長速度だったのも危機感が薄れてしまった要因かもしれません。
幼稚園年少(4歳)で明らかに周りよりもいろいろなことができていない
「周りの子に比べて明らかにおかしい」
「何故うちの子だけ並べないんだ・・・?」
「何故うちの子だけ喋れないんだ・・・?」
この段階でも二語文が出ない長男、流石に焦ってきました(もちろん次男も発語がありません。)
「でも、喋れないけど、指示したことはある程度理解しているよね。つまり、喋れないことが問題なんだ」
「喋れないけどジェスチャーでコミュニケーションを取っているらしい。なんて賢い子なんだ」
仕事の忙しさや妻の発達に関する子供への擁護もあり、薄々まずいかもと思いつつ、ここに来てもまだ動きません。
幼稚園年中(5歳)にもかかわらず二語文が出ない
5歳になってもまだ二語文が出ません。
流石にまずいと市の児童相談所で二人とも言葉の発達支援を受けることになりました。
このころ、私が良く調べていたのは「発語しない 5歳」などのワードでした。
つまり、言葉だけの問題だと思っていたので「表出性言語障害(※)なのだ」と勝手に解釈をしていました(素人の勝手な診断ダメゼッタイ!)
幼稚園の先生との面談で「〇〇くん、少しずつ少しずつできることが増えていますよ」「お友達が頭をぶつけて泣いているのを見かけたら保健室まで連れてきてくれて、喋れないなりに保険の先生に身振り手振りでその子が頭をぶつけたことを教えてくれたんですよ、すごく優しいんです」とのお話があったので「言葉以外は問題ない」と思い込んでいました。
今思えば現実逃避です。
先生は「今は先生が誰かは必ず見ています。慌てず、一つ一つ、できることを増やしていきましょう」というお話もされていました。今思えばおそらく知的障害か発達障害なのではないかと察していたのでしょう。
結局、市のこども発達支援センターの言葉の教室は妻がちょっと合わず、二人とも隣の市の療育施設の言葉の教室に通いました。
その体験談はこちらの関連記事で紹介させていただきました。

次男については通所受給者証を取るためにかかりつけ医の先生に診断書を書いてもらったのですがそこで自閉スペクトラム症と診断されました。自己中心的で~、のようにちょっとショッキングな内容が書いてありましたが・・・受給者証を取るための文言、と割り切りました。
※表出性言語障害・・・ざっくりというと言われている言葉がしっかりと理解できるが、上手に話すことができない障害
幼稚園年長(6歳)でようやく二語文が出る
言葉の教室でのトレーニングの成果もあり、ようやく長男は2語文を言えるようになりました。
次男も長男と同じ時期の6歳になってから2語文が出るようになりました。
二人とも二語文が出るようになってからは早かったです。すぐに三語文以上がスラスラ出るようになりました。
とはいえ発語ができるようになったばかりで発音は酷く、ほとんど聞き取れません。
自分が言いたいことが上手に伝わらないと癇癪を起してしまうこともありました。
伝わらないストレスのあまり友達に手を上げようとするも、友達を叩くわけにはいかないので直前で踏みとどまり、代わりに自分の頭をポカポカ叩くことがあったそうです。
反面、上手に伝わった時は本当にうれしそうな顔をしていました。
「親である私たちも上手に受け止められないなら幼稚園では大変なのではないか?いじめられないか?」そう思っていました。
ところが先生に聞いたところ、幼稚園では友達同士でこんなやりとりをしていたそうです。
友達A「〇〇くん(うちの子の名前)が何を言っているか、皆で考えてみよう!」
友達B「もしかして△△の事?」
うちの子「ちがう」
友達C「もしかして☆☆の事?」
うちの子「それ!」
本当に良い友達に恵まれたと思います。対応してくれた幼稚園の先生にも感謝しかありません。
6月ごろ、幼稚園での面談で、園長先生から就学相談窓口に行って就学前相談をしたらどうか、というお話がありました。
確かに上手に話すことができないし、それが良いかもれないと思い、児童相談所に行きました。
知能検査を行ったところ、知能指数64、ということでした。
ここで初めて自分の子供が知的障害だったことに気が付きます(本当は薄々思ってはいましたが・・・)
この時ほど自分のことを嫌悪したことは無かったかもしれません。
気が付ける場面でも自分の都合を優先し、子供たちに適切な教育を受けさせず、結果、辛い経験を多くさせてしまったこと。
この時は障害者の未来は暗いと思い込んでいたので将来に対して大きな不安を抱えたこと。
もし、もう少し早く動けていたらその暗い未来を軽減できたかもしれないと思うと涙が出てきました。
次男はその半年後、長男と一緒に療育手帳取得のために児童相談所で検査を受け、中等度知的障害が発覚しました。
長男も特別児童扶養手当の申請のための診断書でASD(自閉スペクトラム症)の診断がつきました。
我が家の場合の療育が遅れたことで生じたデメリット
子供の自己肯定感に良くなかった
言葉が話せるようになって子供からよく出てきた言葉が「わからない」、「むずかしい」、「できない」です。
きっと、周りの子たちに比べて劣等感を抱く機会が多かったにも関わらず、無理やり課題をやらせてしまい、自信を喪失させてしまったのではないかと思います。
療育を通じて近い境遇の子たちと一緒に成功体験を積む経験をもっとさせてあげたかったですね・・・
適切なアプローチができない
妻は言うことを聞かない子たちに対して怒鳴ることが多かったです。
子供達は言うことを聞きません。
妻、さらに怒鳴ります。
それでも子供達は言うことを聞きません。
それはそうです。「聞こえない」のではなく、「内容が理解できない」のですから。
知的障害の場合、言葉だけの説明でダメなら絵で説明する、分割して一つ一つ説明する、など伝わるように伝えるように工夫することが必要です。怒鳴ることは適切なアプローチではないのです。
むしろ、怪我などが想定される危険な場面で緊急避難的に怒鳴ってでも行動を止めさせなければならないときに「いつものように怒鳴っているだけ」なので効果が発揮できなくなる可能性もあります。
感覚過敏を放置する結果になってしまった
ASDの下の子は感覚過敏で特に頭に何かが触れることを極端に嫌がりました。
お遊戯会は魚の帽子をかぶってみんな走るのですが、感覚過敏の下の子は帽子をかぶらず、そのまま走りました。
床屋にも行けず、私が力づくで押さえつけながら自宅で髪を切っていました。
そのことを療育の先生に伝えたところ、感覚過敏を軽減する体験を多めにしてくれました。
今では普通に床屋に行けますし、帽子もかぶれます。
最後に
最後にもう一度言います。
療育は早く受けましょう。
様子を見て、とかもしかしたら軽度知的障害じゃないのかもしれない、とかそんなことは些細な事です。
療育を受けることによるメリットは本当に大きいので受けない手はありません。
次回は療育を受けさせよう、となったらする行動について順番に解説します。

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