不安だらけの心が楽になった知的障害、発達障害(ASD)の子育ての考え方その2、捉え方編

こんにちは、ぺいです。

軽度知的障害&ASDの長男と中等度知的障害&ASDの次男の父です。

前回のブログで「心が楽になる出口の考え方」のお話をしました。

今回は「こんな風に知的障害、発達障害の子育てを捉えたら心が楽になった」という捉え方のお話をしようと思います。

では内容に入っていきましょう

目次

他人との比較からの早期脱出

なんだかんだと皆さん「他人との比較」をきっかけに気分が落ち込んだりすること、ありませんか?

自分の事しかり、子供も他の家の子と比べたり・・・

「他人との比較はやめよう」なんて言われてもついついしてしまいますよね?

その結果強い劣等感に悩んでしまう。

でも、障害児の子育ては「ゆっくり」と「3歩進んで2歩下がる」みたいな感じです。

自分のペースで、それでも過去の自分よりも一歩一歩進んでいく。

同じ障害者でも一人一人違います。

なので「平均」「普通」「他人」と比較することは意味がありません。

私たちが大人になってどうにかこうにか「他人との比較からの脱出」を頑張っている間に彼らは子供の頃からトレーニングを積めるのです。

親に感謝の力がつく

「ありがとう」の反対語は「当たり前」

私はこう思っています。「有難い」と書くとわかりやすいと思います。

健常者同士、特に大人同士ですと「このくらいできて当然」「このくらいやって当然」などのようについつい「当たり前」の世界に生きてしまいます。

ところが知的障害者は当たり前が難しいことがあります。

うちの子は二人とも5歳でもほとんど喋れませんでした。多くの人がもっと早く経験するであろう「パパと呼んでくれてうれしい!」もずっと経験できませんでした。

そんな子が言葉の療育教室で大きな声で「あー!」って発声したのを見て、もうそれだけで「喋れた!!?」と感激したものです。

先生に心から「ありがとうございます!」って言った記憶があります。

子供は親の鏡です。親に感謝の力がつけば子供にも感謝の力がつくと信じています。

子供と本気で向き合える

多分ですが、私、子供が障害者じゃなかったら、こんなに育児に関わっていなかったのではないかと思います。

知的障害者の場合、言葉でこちらから説明しても中々伝わりません。

画像にしてみたり、言い方を変えてみたり、必要最低限度の事に絞ったり、様々な工夫をします。

また、自分が伝えたいことも上手に表現できません。

さらに、うちの子は二人とも言葉の発音が非常に苦手なので中々聞き取れないこともあります。

なので結構丁寧にしっかりと聞き取りをしないとコミュニケーションが取れないことがあります。

(昨日こんな動画見てたな、もしかしてあれの事を言っているのかな?)と推測しながら話します。

だからこそ、伝わった時は本当にうれしそうな顔をしますし、じっくりとコミュニケーションを取れていると思います。

「人は話を聞いてくれる人の話を聞く」

と言われる通り、二人ともよく話を聞いてくれます。

【一番効いたのがこれ】極論、こう捉えてみる

一番個人的に不安解消に繋がった捉え方はこれです。

どうしても人口の数%は障害を抱えて生まれてくる人がいる。これは人類の中で避けられないことであり、障害を持って生まれてくることを誰かが引き受けなければならない。うちの子たちは優しいからそれを引き受けてくれたのだ。

理論的でも何でもない、ただのこじつけと言ってしまえばそれまでかもしれません。

でもそう捉えてみると少し、それだけで我が子の事を誇りに思えるようになってきました。

もしも選べるのなら、好きで障害を持って生まれてくることは無いでしょう。彼らは他の誰かがなるかもしれなかった障害を引き受けて生まれてきたのですからもうそれだけで偉業です。

でもこういうこじつけも大事だと思います。

「私は私の意思で心臓を動かしていない。つまり私は生かされている。私には使命がある」こう考え、日々精力的に生きる人たちもいます。彼らにとってそれが大きな活力で、そこから生まれた行動によって結果も出しています。

つまり、どう捉えようが、それが正しい正しくないではなく、意識と行動が変わるかなのだと思います。

いろいろと書きましたが私の中で一番大きかったのがこの考え方です。

これは止めましょう

「私は不幸にも子供が障害者になったかわいそうな親である。」こう考えるのは止めた方がいいと思います。

第一に、自分自身への呪いは不幸にしかならないからです。

第二に、そう捉えたところで解決する問題は無いからです。

第三に、先ほども書きましたが子供は望んで障害者に生まれたわけではありません。子供に「私のせいで大好きな親が不幸になった」と思われたらお互い幸せから遠のきませんか?

捉え方ひとつで気持ちが軽くなり、行動が変わり、結果が変わるのなら、いくらでも捉え方を変えるべきです。

貴方は貴方の捉え方、してみませんか?

また、「私はこう考えたら楽になった」というものがあったら是非コメントで教えてください。

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